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初代准男爵、サー・ジョン・グラッドストン(, 、1764年12月11日 - 1851年12月7日)は、イギリスの政治家、貿易商、黒人奴隷農場主。 英国首相ウィリアム・グラッドストンの父親にあたる。 == 経歴 == 1764年12月11日、穀物商トマス・グラッドストンス(Thomas Gladstones)とその妻ヘレン(旧姓ネイルソン)の長男としてスコットランド・ミッドロージアン・で生まれる〔永井(1929) p.4〕。 若年の頃から父の事業を手伝い、それによって一定の蓄財をすると、イングランド・リヴァプールへ移住して友人たちとともに穀物貿易の商会を創設した〔永井(1929) p.5〕。友人たちとの共同事業期間が満了すると、以降は単独事業を行った〔永井(1929) p.5-6〕〔神川(2011) p.21〕。 1792年以降、イギリスはフランスと二十数年に渡る戦争に突入したが(フランス革命戦争、ナポレオン戦争)、これによって貿易は賭博的事業となり、貿易商は極端に成功する者と極端に失敗する者の二極分化した。グラッドストンスは成功者の側に入った〔神川(2011) p.21〕。 彼ははじめは東インドでの貿易を主としていたが、後には西インド貿易にも手を伸ばした。また西インド、英領ギアナ、英領ジャマイカなどにおいて広大なサツマイモ耕地、コーヒー耕地を所有した。イギリス本国においては奴隷貿易は1807年に禁止されたが、大英帝国植民地においては奴隷貿易は未だ合法であり、グラッドストンスも大量の黒人奴隷を自身の農地で酷使した〔永井(1929) p.9-10〕〔。1823年にはギアナでイギリス農場主の支配に抵抗する黒人奴隷の一揆が発生したが、その一揆の中心地はグラッドストンス所有の農場だった〔尾鍋(1984) p.14〕〔永井(1929) p.9-10〕。 やがてリヴァプールでも最大の名士の一人となり〔永井(1929) p.7〕、1818年から1820年にかけて、1820年から1826年にかけて、1826年から1827年にかけてはから選出され、庶民院議員も務めた〔〔永井(1929) p.7-8〕。 グラッドストンスはもともと非国教徒の長老派であり、支持政党は自由主義政党ホイッグ党だったが、後に国教会の福音派(比較的長老派と教義が近い)に改宗するとともに、党派も保守政党トーリー党になった。だがトーリー党内では自由主義派に属しており、カトリックが公職に就くことを認める改革や商業における規制を撤廃する改革を目指すジョージ・カニングを支持し、カニングのでの選挙活動を支援していた〔神川(2011) p.22-23〕。しかし政治家としては批評に上るほどの人物ではなく、議員辞職後には政界から退いた〔永井(1929) p.8〕。 1835年には姓の最後の"s"が語呂が悪いと感じて、勅許を得てグラッドストン(Gladstone)に改名している〔〔。 1846年7月18日に准男爵の称号を与えられた〔。1851年12月7日に死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・グラッドストン (初代准男爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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